つれづれブログ

雑記帳(令和二年三月一日)

雑 記 帳     (令和二年三月一日)

「会則」と「お約束」を確認することから始める。
自ら楽しむ。
弱い者いじめはしない。自分がされて嫌なことは人にしない。言わない。

昨今の報道は…とにかく品が無い。総じて卑しいと感じるのは私だけだろうか?

報道する側にもされる側にも、腹立たしさ、怒りを越して情けなくなってしまうのだ。

潔さも爽快感も感じられない、虚しい不快感だけが残る。

連日のことであるから慣れてしまうのが恐ろしい。みんなが不感症になっているのだ。

 

孝女「由利子」の話し

由利子は村田村の百姓伊兵衛の娘として一七一〇年に生まれた。長じて出雲崎町尼瀬の大工作太夫のもとに嫁し、中風で寝ている年老いた姑に仕え孝行者であった。夫の作太夫が出稼ぎに行った留守の間、昼は山に行って木を切って売り、夜は着物の縫い物等の貧しい生活の中で、姑を大切に、背いたことは一度も無く、夜昼看病に精を出した。

こうした孝行ぶりが領主の耳に入り、褒美として米五俵を賜った。また、時の将軍徳川吉宗もこのことを聞き、銀二十枚を褒美とし、学者に命じて「越後孝婦伝」と云う伝記を作らせたという。

由利子を称える石碑は尼瀬の善勝寺の境内にある。

尚、村田村の伊兵衛とは田中泰雄さんの先祖です。今後はこのような、故郷に伝わる明るく楽しい、爽やかな話題を掘り起こして皆さんにお知らせしようと考えます。「良寛塾…かわら版」として。

 

柿もぎの 金玉寒し 秋の風 この句は本当に良寛さんの句でしょうか? 正真正銘の良寛作!

雨の降る日はあはれなり良寛坊 は理解できる…。「金玉」が良寛さんの句なら超・親近感が湧く。

 

人はその生まれ出でたるところに責務がある。人間と云う動物が特別上等な生き物ではない。

誰もが、一人で生まれて一人で育ったわけではない。赤ん坊がおぎゃあと泣けば、周りの誰かが飯を作り、おしめを替え、育ててくれた。ろくでなしの親でも乳を与えてくれたのであろう? 泣き声がうるさくて眠れなくても、周りの者はみんな我慢したはずだ。人はそうやって生まれたところと繫がり、恩を受けたり与えたりして生きてゆくのだ。その手に職を持ち、人の役に立って、給金をもらい、飯を食う。それで世の中の円が閉じる。誰でもが例外なく、多少の長い短いがあるがそれが人の一生だろう。

今現在の自分が、自分の一生のどの位置にいるのか分らないから面白い。永遠に続かないということだけは理解している。本当は、やっと最近になって自覚してきたのだが。

哲弥君が先日,河津桜植栽してくれた。早速開花した。嬉しかった。目立ちたがり屋の証左である。

何かを残そうと躍起になっているのだ。『保内郷の良寛さん』は最高の遺産だと自負する。

小島正芳先生と佐藤昭一先生に感謝申し上げる。勿論、倶楽部の仲間全員にも感謝…。

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